2003年7月17日 「藤本敏夫」を偲ぶ会報告


「藤本から何を学び、そして後世に何を伝える」

7月17日故:藤本敏夫を偲ぶ会に出席して 生前の藤本敏夫の活動・事業の全体をつかみ、理解していた人はごく少なかったに違いない。

7月17日、有機農業、環境保全型農業の生産集団や流通グループのリーダーと思える人達によって、会場はうずめらていた。一周忌に集まった170人の大人達が、さまざま領域で、彼と共に語らい、行動した軌跡を明らかにするに従って、人々に彼が与えた影響の深さを感じさせられた。

ある人は”藤本さんの魅力は、彼がやっていることの全貌がみえないところにあった”といっていたが、それは確かに、生前の彼の魅力ではあった。死後の魅力は、全体像が語られるに従って、彼が一つの理念・コンセプトによって、さまざまなプロジェクトを立ち上げていったその執念とも思える情熱にあると思う。

4年ほど前だっただろうか、藤本の講演を聞いていたとき気がついたことだが、彼は、時代のKEY WORDを黒板に書いては、それに関連する概念と物語を話し、そこから押し出されてくる次のKEY WORDに移り、再び概念と物語を展開する。KEYWORDの連鎖が、一連の環に完結するとき、聴衆の中に一つの絵図が浮かんでくる。そんな人々の表情を楽しむかのように、語るということに無常の喜びを感じることが出来た稀代のコミュニケーションの才能であった。

今でも、あの吸い込まれるような話術に酔いたいかのように、人々は、次々に藤本に語りかけるのであった。
T&T研究所 田中正治
(田中さんは同志社大学時代からの藤本さんの戦友です)




 登紀子さんは、涙ながらに藤本さんのいなくなった後の1年を振り返り語られていました。

「彼がいなくなってからあまりにも多くのことを彼が残していったことに気づき、私にはそれをすべて受け継いで行くこと、どうしていいか今でも困惑しています。たくさんのことは出来ませんが、彼が愛した鴨川自然王国を守っていくことだけは必ずやって行きたいと思います。彼が最後に残して言った言葉「青年帰農」という言葉に、今たくさんの若者が鴨川に集って、お金ではない新しい生き方を里山の農的生活の中に中に見出そうと、鴨川フューチャーズクラブで活動しています。皆さんが鴨川にいらっしゃった時は、藤本が見せた満面の笑顔でお迎えしたいと思っております。」
 
 7月10日中野サンプラザのコンサートの時も登紀子さんはこの1年を感慨深く語られていましたが、CDアルバム2枚「花かたみ」「沖縄情歌」、本3冊「農的幸福論」「蒼い月のバラード」「ひとりぼっちはひとりじゃない」、コンサート、国連親善大使、テレビ等のメディアに出る回数も意図的に増やされていたのではないでしょうか。それに加えて、鴨川未来たち学校、鴨川自然王国、フューチャーズクラブ・・・。何というエネルギーでしょう!

「忙しいけど今じゃなきゃ表現出来ない感性ってあるのよね。<私は風、彼は土>って言ってたけど、今は<彼は風、私は土>藤本が蒔いていった種を私がどうやって咲かせるか。夫婦の関係もそうだけど、自分の意思をしっかり持って相手と対話していくことが大切ね。」
鴨川自然王国・ガンコ山登山にて
私たち若者は、藤本さんやあの時代の先輩たちから、何を受け継ぎ、何を後世に伝えるか。

フューチャーズクラブ 斉藤博嗣


  
 






http://www.k-sizenohkoku.com
kingdom@viola.ocn.ne.jp
Copyright (C) 2000-2004 Kamogawa shizen ohkoku All rights reserved.