田中正治
アンチ・グローバル
「種子はだれのものか」 

■text:田中正治

■date:2004.3.11

■種苗法
■1992年、ブラジル地球サミット
■種子と生物多様性
■大地
■種子
■多国籍化学企業・モンサント
■公有地と民衆の種のための闘い
■新しいコミュニティーの創造と種子の共同占有


A) 種苗法

1) 種子は、生命をはぐくむ神秘なまでのエネルギーの源泉。この種子の遺伝子に遺伝子銃が打ち込まれ、植物の遺伝子に微生物や動物の遺伝子が合体される。このような種の壁を超えた生命の改造に対して、自然はどのようなしっぺ返しをするのだろうか。巨大多国籍化学企業モンサント社は、遺伝子組換えによって二代目からは発芽しない種子を開発した。ターミネーター・テクノロジーである。この種子を使用すれば、次の年は発芽しないのだから、種子の自家採取は完全に不可能になり、種子企業から買い続ける以外に道がなくなる。「知的所有権」の名のもとに、種子の独占支配が加速しているのだ。

2)1998年5月、国会で採択され、1998年12月に施行された「種苗法」は、企業によるこのような遺伝子組み換え種子のために、道を掃き清めるための法律であった。大豆、トウモロコシ、なたね、じゃがいもなどの遺伝子組替え作物や食品の輸入が急増している一方、日本の農林水産省や食品、農業関違企業は、遺伝子組替え作物の作付け実施を急いでいる。特に農林水産省は、稲のゲノム解析と遺伝子組替え新品衝開発に全力投球している。新「種苗法」によっても、米、麦、豆など穀類の種子に関する自家採取の権利は、“特例”として認められたが、遺伝子組替え種子に関しては、企業への特許料を支払い、特別の契約を利用者は課せられることになるだろう。

3)種子は、遠い昔から大地と農民とのエネルギーと英知の賜物、民衆共有の財産であった。今再び、農民による種子の自家採取、種苗交換、種子銀行、在来種という言葉が、人々の間でささやかれ始めた。「種子を制する者が世界を制する」。それは誰か。農民か、それとも独占企業か。

B)1992年、ブラジル地球サミット

1) ブラジル、リオ、デ、ジャネイロの表舞台は各国要人の華やかなセレモニーとNGO3万人のイベントであった。だがその水面下では、多国籍企業と世界のNGOとの激しい戦闘がくりひろげられていた。そのターゲットは「生物多様性条約」−「知的所有権」であった。種子を含む生物の遺伝子情報を管理すべき対象としたうえで、特許権一私的所有権を認めよ、と多国籍企菜は主張した。他方、生物の多様性の延長上に人間の社会や文化の多様性を捉えたうえで、先住民や民衆の共有財産を、先住民やNG0は主張した。先住民の共有財産権は認められた。だが、「知的所有権」という考えは条約そのものに明記されることになった点で、多国籍企業は密かにほくそえんだのである。

2)この「生物多様性条約」をめぐる両者の関いは、「知的所有権」の可否がその焦点であった。だが、その背後には自然観、人間観、所有観の対立があった。自然と生命に対し、遺伝子銃を打ち込んで、人工生物を作り上げるまで、人間の自然と生命に対する支配一所有を徹底するところに、未来をイメーメジしていくのか。それとも、人間は自然生態系の一部、生命の多様性の一部であり、そのようなものとして、自然にたいする人間の関係をとりむすび、人間と人間との社会的関係を形成していくのか、という対立でもあった。

3)20世紀が石油化学産業の世紀であったとするなら、21世紀は情報、生命産業の世紀になるとの予感は満ちあふれている。多国籍石油企業シェルによるバイオベンチャー企業や種苗企業の買収、西独ヘキスト、バイエル、米国ジュポン、英国ICIなどの多国籍化学企業の生命産業への全面参入。多国籍化学企業モンサントによる種子、農薬関連企業の連統的買収。バイオコンピュータの研究。遺伝子組み替えによる医薬品の開発や種子の支配。遺伝子治療、鉱工業での微生物の利用等など。

4)21世紀の成長産業と言われるものをあげてみると、情報、医療一福祉、バイオ生命、ソフトエネルギー一、環境である。その根幹に情報と生命産業がおかれている。情報産業が21世紀前半に飽和状態になった後、生命産業が浮上するという予想は多い。石油、原子力を基礎にした鉄鋼、造船、機械、石油化学、原子力発電、軍需産業など20世紀型の巨大産業が衰退していく中で、これらの資本は21世紀型産業へとシフトしはじめている。遺伝子工学と知的所有権がハードとソフトの焦点になっているのである。

5)多国籍バイオ企業とは違った意味でだが、21世紀は情報と生命の世紀となるだろう。資本主義市場経済の自由な発展が、地球環境の復元力を限界においやり、人類自身の生命そのものの危機を呼び寄せてしまったのだから。人間の世界観や価値観、自然に対する人間の関係の在り方、人間の社会システムの在り方、物質的、知的所有の在り方を巡る革命の世紀に入ったようだ。

C)種子と生物多様性

1)「すべての生物には、その個体の成長を促す『成長点』というものがある。葉や茎や根の先端で細胞分裂を繰り返しながら、植物は成長していくのである。現境からエネルギーを吸収しながら成長を読けている植物に、ある日成長の止まる、いや突然植物が成長をやめる日がやってくる。それはすべてのエネルギーを自らの成長のためにのみ使っていた植物が、種の存続、すなわち、次世代のためにエネルギーを使うように変貌する瞬間である。っまり、その瞬間とは、植物が『自分の成長』という個別的な価値から『種の存続』という普遍的な価値への『価値転換を図る時』ともいえよう。まさしく『期を画する』瞬間なのだ。そしてその時に咲くのが『花』である。」(TANET2より)

2)ある雑誌を見ていると、カラーの強烈な写真が、目にとまった。トウモロコシの写真だ。黄、赤、黒、紫、茶、こげ茶、赤と紫、まだらのもの、小さいもの、巨大なもの。50種のとうもろこしが精一杯に存在証明しているかのように、生命力にあふれていた。アンデスだけでも300種はくだらないそうだ。種はなぜ多様性を求めるのか。遺伝子源の多様性によって種を絶滅からまもるというだけでなく、環境適応能力を個体としてだけでなく、種全体として高めようとしているのだろうか。他の種との競争と調和への適応力をつけるためなのか。それとも、種自身の自己組織化のためなのか。いづれにせよ、種の多様性のあるところには、生き生きとした生命の息吹があり、豊かで安定感があり、美しい。

D)大地

1)ヨーロッパで農村共同体に対する、土地の囲い込み運動が起こっていた17-18世紀に、イギリスの哲学者ジョン・ロックは、暴力的な血塗られた略奪的行為を合理化した。ロックは、財産とは、自然資源に対して資本の管理に象徴される「精神的な」人間の労働を加えることによって創られ、資本だけが自然に価値を付け加えることが出来ると主張した。資本の所有者のみが自然を所有する権利を持つと。従って、共同体が保有してきた共有権・用益権は否定された。従来、森や川や海は共同体の人々の共同占有でもあった。人間がそこから恵みをうけている自然は、人間が自然から借りているものにすぎず(占有)、利益を得ている(用益)ものにすぎなかった。だが、資本が自然に価値を付与するとの規定のもとでは、自然に対する共同体の占有や用益は否定されたのみならず、占有や用益を主張するひとびとは、資本による所有の自由を奪う者として、略奪者、妨害者として排除された。寺領の略奪や国有地の詐欺的譲波、共同体の盗奪や残虐なテロをもって、それらは行なわれた。封建的諸関係の解体と同時に、大工業の固有の産物である近代労働者階級の形成史が始まった。農村共同体を破壊された農民は、都市に移動し労働力とならざるをえなかった。大地は、土地所有者によって私有された。あらゆるものを商品化し、貨幣化し、資本化しようとする資本制システムが一旦確立すれぱ、自然と大地に対する私的所有や国家的所有は当然のこととして人々に受け入れられ、共同占有は特殊なものとみなされる。

2)だが、人間が将来築くであろう高度な社会経済システムの見地から見れば、自然−大地は人間の所有物でなく、共同占有物として、人間は大地の恵みを受けているものにすぎない。そこでは人間と人間との社会的諸関係は、商品、貨幣、資本という資本家的システムから解き放たれ、人間と人間との直接的な社会的協同の関係が形成されるが、その直接的社会的協同の関係は、大地に対する人間の資本家的観念一私的所有観を払拭し、共同的占有観への移行を不可欠の条件にするだろう。資本制社会の成果としての『協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有』を基礎とするような生産者たちの『自由な連合』こそが、まさに『自由な労働』と『自由な享受一取得』が、高度な社会経済システムにおいて実現されることを通じて、資本制によって一旦は生産者から完全に分離させられていた大地を、再び生産者達の『肉体のいわば廷長』に新しく転化させるのである。社会は人間と自然との物質循環を回復する。自然の真の復活である。

E)種子

1)資本主義社会以前には、種子は農民達によって自家採取され、地域内で交換されていたのであろう。現在でも、門外不出の種子が各地にあると聞く。共通の風土をもつ地域に合った種子は、その地域の共有財産になっているのである。種子の私有化がいっから始まったかはさだかでない。1800年代、米国にはすでに種子会社は存在していたが、径済的に大きな位置を占めていたわけではない。19世紀の間、米政府が米国内の種子の主要な供給者であった大農業方式の米国をのぞいては、種子の自家採取が一般的だったであろう。農産物が換金作物=商品として栽培され、市場の要求に合わせた栽培方法が採用されると、それに合った種子に改良される。美味しい、見栄えがよい、加工しやすい、輸送に便利、収穫が上がる、作りやすい作物をつくる種子に。

2)日本に関して言えば、1950年代まで、一般的には、有機農業、自給自足が中心で、市場経済はサブシステムであった。従って、種子に関しても、自家採取が一股的であった。
だが、1960年代の資本主義の急速な工業化、大都市への農村からの急速な人工集中に
伴う人口の逆転現象は、膨犬な都市住民の食料を、減少する農民が供給することを強要した。
国家によって農業の近代化がうたわれた。農機具メー力一、農薬メー力一、化学肥科メー力一は農村に入り込んだ。農協もそれと競合した。農業生産性向上運動は農村労力の減少とタイアッブしていった。農産物の増産一大量流通一大量消費に合致した工業化農業とともに、種子のF1化一ハイブリッド種が農家によっても採用されていった。在来種に比べて、農薬、化学肥料、水の吸収率がよく、従って大量生産に向いているF1種の全盛時代が訪れた。ところが、F1種は、第2代目には種の特性によって、不ぞろいな作物が出来るため、商品作物としては適切ではない。従って、商品作物をつくろうとすれば、農民は毎年種苗会社から種子を買わなければならない事態になった。企業による種子独占である。大量流通一大量消貫システムに対応した大量生産システムは、農産物の単作化を促進した。一面のキャベツ畑、大根畑、かぼちゃ畑が登場した。多品種少量生産、有畜複合、自家採取は完全に後方においやられた。農薬、化学肥料、水の大量投入とF1種子のサイクルは完成した。1970年代であった。

3)このころ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカでは、「緑の革命」が進行中であった。
米アグリビジネスと国家機関が一体となって、農薬、化学肥料、水の大量投入とF1種子
による工業化農業を押しつけていた。世界はリンクしていたのである。

F)多国籍化学企業・モンサント社

1) 世界が工業化農業に変貌した結果起こったことは、何であっただろうか。
a) エネルギーの大量投入による食料増産体制。特に工業諸国では、農業の工業化によって増産体制を確立したが、それは同時にエネルギー効率の低下を結果した。
b) 地球環境破型農業化。土壌、水質、大気汚染と生物多様陛の破壕。
c) モノカルチャー=輸出作物生産による貧富の格差の増大。特に、アフリカでの飢餓に順発。
d) 米国の食糧国家戦略化による第三世界諸国の食料輸入国化。
e) 農産物大量生産による工業諸国での食糧の質的悪化。農産物と人間生命力の低下。
f) 1980年代中頃以降、化学肥料の効力減退の健在化。農薬とワンセットで使用されてきた化学肥料は、強酸塩の土壌残留によるミネラルバランスの劣化および土壌小動物、微生物の死をもたらし、植物の成長を不自然にする。
g) 水、農薬、化学肥料の大量投入による表土の流出と砂漠化。

2)こうした事態をにらんだ、多国籍化学企業モンサント社のコンセプトは、「人類が直面している数々の問題を解決するためのビジョンを持ち、環境に配盧する企業」ということである。世界の食料危機を救い、低農薬投入の環境にやさしい農業、その先端こそ遺伝子組替え技術を応用した「第二次緑の革命」だというのだ。

3)遺伝子組替え植物は、植物のDNAに微生物や動物のDNAを組入れたりして、種の壁を越えて人工植物を「創造する」ことにその本質がある。1988年のトリプトファン事件で証明されたように、副産物の毒性によって、38人が死に、1500名がその後遣症に今もなお苦しむといったような事態が、今後起こったとしても不思議ではない。生物のDNAの80%くらいは休眠DNAといわれており、それらがDNA組替えに刺激されてどのような働きをするか注目されているところだ。スーパー雑草やスーパー害虫の発生も報告されている。また、生体の免疫力低下もとりざたされている。すでにマウスの実喰では免疫力の低下が証明されたといわれている。

4)「夢の物質」フロンが、オゾン層破壕の元凶であることが、発明40年後に判明し「悪廣の物質」に変わったように、「永違のエネルギー源」プルトニュームが原発事故の恐怖を人々に突き付けているように、「夢の化学物質」プラスティックが解決不能のごみ問題を世界に引き起こしているように、自然界に存在せず、自然界に帰ることのない物質を創製することは、地球生態系と人類の未来の世代に取り返しのつかないことを結果するのではないだろうか。遺伝子組み換えによる人工生物の創成は、そうしたレベルの問題である。
生体の中になにが起こっているのか。自然はどのようなしっぺ返しを人間にするのだろう
か。

5)遺伝子組換え種子であるモンサントのラウンドアップレディー大豆と、除草剤ラウンドアップのセット採用を、農民が契約すれば、その契約の内には特許料の支払い、種子の自家採取の禁止、3年間モンサント社による畑の監視等が含まれる。従って、モンサント社の遺伝子組み換え種子とラウンドアップ除草剤を買い続けなければならなくなる。「バイオ農奴制」といわれるシステムである。フランスの農民、ジョゼ・ボヴェの遺伝子組み換え作物引っこ抜き闘争や最近のカナダの農民・シュマイザーさんの闘い、茨城県でのは、遺伝子組み換え大豆鋤きこみ闘争などは、遺伝子組み換えと種子の資本独占がもたらした災禍に対する勇気ある農民の闘いである。

6)業を煮やしたモンサント社は遺伝子組換えの複難な過程を経て、二代目には種が自ら作る毒によって自殺し、発芽しない種子を開発した。いわゆるターミネイター・テクノロジーである。このターミネイター種子を農民が利用し続けるなら、自家採取は完全に不可能故に、永続的にこの種子をモンサントから買い続けなければならない。種子の完全な私的独占である。「バイオ農奴制」は完成されることになる。種子は農民の手から最終的にはなれることになるのだ。

G)公有地と民衆の種のための闘い

1)インドのフェミニストで、エコロジストでもあるバンダナ・シーヴァのエネルギッシュで知的で魂を揺り動かすスピーチは、現境、生命、農業に関わる世界の人々を驚かせている。インド農民の種子と共有地のための、多国籍アグリビジネスに対抗する闘いの前線からの叫びであり、知的メッセージなのだ。生命の多様性と精神の多様性は彼女のメッセージの根底にある。その実際的政策が種子と共有地の防衛と拡大である。

2)バンダナ・シーバは一方で、「バイオテクノロジーの民営化の究極的表現は米国通商代表部、世界銀行、GATT、世界知的所有権機関・WIPOを通じて活動している多国籍企業が、地球上の全ての生命を企業が私有財産として所有することを可能にする統一的な特許制度の策定を、必死に要求しているということである。」「世界規模の特許保護によって、アグリビジネスと種子業界は、真の地球支配を達成しようとしているのである。」(「生物多様性の危機」)と多国籍企業の野望を正面から指弾する。

3)そして他方で、「土着のコミュニティーでは、最初は個人によって取り入れられた改良もあるが、改良は社会で共有するものと見られている。よって改良の結果は、それを使いたい人は誰でも自由に利用できる。その結果、生物多様性のみならず、その利用もまた共有で、コミュニティーの内部や、コミュニティー相互間での交換も自由だ。改良の基礎である共有の資源の知識は、何世紀にもわたって次の世代に受け渡され、また、より新しい利用法を取り込んできた。そうして数々の改良が、何度も何度も共有の知識として蓄積されたのである。この知識の蓄積が、今日の農業植物の多様性や医薬植物の多様性に、幅広く計り知れない貢献をしているのだ。それ故、資源や知識を個人が『所有する』という権利概念は、土着のコミュニティーにはなじまないのである。この『所有』の権利概念が、生物多様性の保謹に非常に重大な結果を引き起こしつつ、土着の人々の知識の障害になることは疑いない。」(『共有地の囲い込み』1997年バンダナ・シーバ)と指摘する。

4)3分の2を占める土着のコミュニティーの権利をまもるために、「国家と市場を越えた視点」を持ち、コミュニティーを強化して、種子と共有地を再び取り戻す闘いを、インド農民とともにバンダナ・シーバは繰り広げている。
1960年代一70年代に、米多国籍アグリビジネスによって導入された「縁の革命」の後にも、インドでは、種子の80%以上は農民によって自家採取されいるといわれている。今、遺伝子組換え種子を'核とする「第二次緑の革命」に対するインド農民は激しく抵抗している。それは、所有をめぐる闘いであり、自然に対する人間のありように関する闘いであり、人間と人間との結合の在り方に関する闘いでもある。

H)新しいコミュニティーの創造と種子の共同占有

1) 現在の日本では、インドのような土着のコミュニティーは、ほぼ消漬してしまっている。また、種子の自家採取率は、米の30%を除けば、5%以下であろう。だが、直面している問題やめざすべき課題は、インドと共通していると思われる。その課題の第一は、個人的所有を基礎にしながらも共同一占有一用役権を共通の創造課題とする、新しいコミュニティーの創造である。第二の課題は、巨大企業の種子独占に対抗して、種子の地域コミュニティーでの共同占有一種子の公共化である。

2) 第一の問題に挑戦するためには、なぜ農村地域共同体が崩壊したのか、新しい地域コミュニティーのイメージは、ということが課題となる。農村共同体崩壊の要因は、農業社会から工業社会への全面的転拠にあり、自足自給を基礎とした農村経済から市場経済、資本制経済への全面的転換にある。40年間、工業資本による圧倒的な社会の編成と展開の後に、現在、工業資本による社会の衰退が姶まり、ポストエ業祉会、情報化社会の予兆があらゆるところで現われはじめた。工業資本による爆発的で、ダイナミックな社会の成長に対応した中央集権的な思想と組織は、桎梏となった。鉄道や造船などの巨大工業資本が自らの重荷に耐えかねてパワーを喪失するかのように、巨大国民国家もみずからの重荷にたえかね、あえいでいる。地球的地域主義の時代が来たのである。そこでは、所有、国有、私有、占有、共同占有、非所有といった所有の概念が、労働の新しい概念が、自然に対する人間の根本的ありようの革命が、人々によって『共同編集』的に創造されればよい。我々の世代は、従来、農村共同体がもっていた共有地を喪失した。だが、人々の創造的コミニニケーション空間を媒介にしたシステムの創発が「現在の共有地」の様相を見せ始めている。そこには、産消提携の農村一都市グループ、生産協同組合、消費共同組合、NP0,ワーカーズ・コレクティブ、インタネットの「協同編集空間」などのアソシエーションが含まれるはずである。グローバルな資本の世界権力に対抗する、トランスナショナルなアソシエーションのネットワークが、資本のグローバル化に対抗する運動によって触発されている。

3)第二の種子の問題に挑戦する時、まず第一に、種子の国家や企業の独占がなぜ進んだのか、第二に、種子を農民の手に共同占有するにはどうすればよいのか、が課題になる。1960年代農業の工業化と大量消費に対応した種子がF1種であった。知らず知らずの内にF1種は種子の90%以上を占領してしまった。種子企業と国家による種子の独占支配である。農民の自家採取は、自給自足用や地場の特産品、あるいわ、産消提携の有機農家で行なわれているにすぎない。実際、農産物の生産、流通、消費の特殊性に、種子の特殊性は規定されるのである。従って、F1種と種子の企業や国家独占から脱出するためには、自給自足を除けば、独自の流通一消費ルートを形成することが不可欠となる。自家採取されたり、種苗交換された在来種や有機農業用に改良された種子を好み、その農産物を購入する独自のルートを形成することが要である。生命の多様性とバイタリティーの価値をメッセージとして運んでいく米や野菜のルートを無数につくっていくことである。遺伝子組換え作物一大豆、トウモロコシ、菜種、じゃがいもなどが国境を越えて、知らぬ聞に食卓に並び、それ負けじと農林水産省やバイテク企業が商品開発している時、コンビニやスーパーでジャンクフードが幅をきかせている今、遺伝子組み換えに対抗する、文化発信型、価値創造型、参加型の産消提携型のネットワークが形成される条件は、逆に広がり、深まっているのだ。

4)種子の保存方法には、三つの形態がある。第一は、「ジーンバンク」で、国家プロジェクトとして、遣伝子の国家管理政策としてつくられているもので、世界中から遺伝子を収奪している。第二は、「フィールドバンク」といわれるものでの、種子を採取する目的でのみ、作物を栽培している。種苗会杜や地方の農業試験所に該当するところがある。第三は、「伝承バンク」とでもいわれるもので、昔から農家が田畑で、営々と在来種の自家採取を続けてきた形態である。現在では、F1種から固定種を形成する方法もふくまれる。我々が民衆の種という場合、この第三の形態が基本となるだろう。遺伝子組み換えの大豆や稲に反対して在来種を守り普及する大豆畑トラストや水田トラスト運動と共に、生協や有機農産物専門機構が農家と共同で在来種の農産物の流通・消費の流れを意識的に作ることによって、在来種の生産の持続的システムをつくらなければならない。
それだけではなく、すでに、現在、在来種が絶滅の危機状況にあるとき、アメリカのシード・セイブァーズ・エクスチェインジやオーストラリアのシード・セーヴァーズ・アソシエーションのように、非営利組織・NP0が、種子採取、種子保管、種子交換、情報提供をすることによって、在来種の伝承を補完し、多国籍企業の種子支配に対抗しなければならない時代に入っている。
 


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