田中正治
田中論文

遊牧民ネットワークとしての田舎ぐらし

■text:田中正治

■date:2006.12.13

1998年から5年間、房総半島・鴨川の山中にある”鴨川自然王国”で企画やイベントのコーディネーターとしての仕事をした後、僕達夫婦は、2003年”自然王国”の近くに永年移住をした。
西畑地区という19軒の農家で構成される部落で、大黒柱は団塊の世代が多いが、ほとんどはサラリーマンで、土・日百姓をしている兼業農家だ。

僕が移住してきたことが、部落ではちょっとした話題になり、”さて、どのように付き合っていったらよいものか?”と寄り合いがもたれ、そこでA,B,C案を僕に提示しようということになったらしい。A案は、僕が別荘感覚で住むのなら、部落は軽く付き合う。B案は、僕が冠婚葬祭まで付き合うのなら、部落もそのように付き合う。C案は、僕が骨を埋める氣で、どっぷりと付き合うのなら、部落もそのように付き合う、というものだった。なんと合理的な提案ではないか!僕は、”C案で行きます”と答えた。

部落の寄り合いに行くと、驚いたことに、ご近所の女性と結婚したイラン人が参加していて、流暢な日本語で、礼儀正しく挨拶した。”おお、いい男じゃないか”と長老達も、けれん味なく自然体で受け入れていて、いい感じだった。

実は、この西畑部落から1500m離れた小高い山の上に、そこは鴨川の源流なのだが、都市の産業廃棄物最終処分場建設の計画があって、部落は賛成は1名、反対派約10名、中立派その他、といった分かれ方をしているようなのだ。僕は”反対”の旗色を鮮明にした。うれしいことに、団塊の世代を中心に”ふるさとを愛する会”という反対グループが、部落の寄り合いとは別に出来ていて、署名運動や水質検査のどの反対運動をすでにしている。ラッキーなことに”鴨川の環境を守るネットワーク”というグループの中で、僕も地元の人達と一緒に会議や行動をすることになった。そのせいか、地元の人から特別冷たい視線を感じることはなく、むしろ温かい視線を感じることが多い。 産業廃棄物処分場反対という共通の課題という新しい共通の受け皿が、別の新しい人間の結びつきを作ったのである。

2年間、この集落の中に住んで思うのだが、集落の最大のイベントは大山不動尊の夏祭りで、それ以外は盛り上がりが感じられない。夏祭りは、東京に出て行った息子や娘が帰って来て祭りに参加するからである。

でも、部落の寄り合いでは、予想に反して実に活発な論議がなされる。それも長老達におもねるわけでもなく、自由で礼儀正しく、時にユーモア豊かに意見を臆せず述べている。これは都会の市民運動の会議よりひょっとすると活発だという印象で、驚きだった。多分それは、江戸時代から続く人々のコミュニケーションの優れた伝統のように思われる。

だが、この部落の寄り合いからは、時代への新しい挑戦やアイディアはもはや出てこないように感じられる。部落には若者がいないのだ。では、新しいものへの挑戦やアイディアはどこから来るのだろう。僕は都会からだと思う。地域活性化の決め手は、”若者、馬鹿者、よそ者”とよく言われるが、その通りで、彼らが風を送り込んでくるようだ。

1985年当時、”若者、馬鹿者、よそ者”だった藤本敏夫氏が、鴨川の山中で”自然王国”を建設し始めた頃、”過激派の親分がきたぞ”ということで、ちょっとした騒ぎとなったとのことだ。でも彼と加藤登紀子さんの魅力でか、5−6人の近所の農家が、農事組合”鴨川自然生態農場”の理事になったのだからちょっとした驚きだ。現在、鴨川の人気スポットになっている”大山千枚田”のオーナー制やトラスト制の代表である石田三示氏も、当時藤本氏にもろに感化された地元若者の一人だが、都会人のアイディアをドンドン受け入れ、放棄されていく棚田を美しい人気スポットに変えている。地元農家のじいちゃん、ばあちゃんが”先生”になって、都会人に田植えの仕方などを教えている。オーナー制田トラスト制という新しい”場”を作ることによって、農的な共通の価値を共有する都市と農山村の人達が共通のプロジェクトを進めているのである。田植え時には800名くらいが参加する。地元の人たちは、都会人をどこか警戒しながら、同時にコンプレックスを持っているとのことなのだが、棚田オーナー制で“先生“になることによって、警戒とコンプレックスはじいちゃん、ばあちゃんからほとんどなくなっていると石田さん言う。

世界を放浪した末、鴨川の山間部の古民家に住み着いた若者・林夫妻が提唱した”地域通貨・安房マネー”は、現在の所、都市からの移住者が多いが、地元のフットワークの軽い人が徐々に参加してきている。農山村でもおもしろいこと、新しいことに興味を持って参加してくる人は、やはりいるのだ。時間はかかるだろうけど。20年―15年前に移住してきた都会人達は、過激派じゃないかとかオームじゃないかと警戒もされ、結構苦労したと聞くが、そのご苦労があってか、最近の移住者が、いじめられているという話は聞かない。これだけ移住者が多いと、地元の人たちも、合理的に解決して迎えいれちゃおうということになっているのかもしれない。

加藤登紀子さん(鴨川に住民票を移した)が始めた”鴨川未来たち学校”も、過去2年間で6回のイベントを開催していて、延べ千数百名の地元人たちが参加した。川、海、土、森、化学物質をテーマに環境への地元の関心を高めながら、産業廃棄物処分場阻止の底流を広げている。

そんなこんなで、農山村での都市からの移住者の役割は創造以上に大きいと感じている。おもしろいアイディア、企画、コーディネーター、ネットワーカーとしての役割が期待されるのだ。

古い「村落共同体」は、1960年代に農山村に貨幣経済、資本主義経済が押し寄せ、自給自足経済が解体していった過程で、内部の創造的エネルギーを喪失し形骸化したと思われる。現在、農山村には資本主義経済だけでなく、その価値観も完全に浸透している。時代は一回転したようで、むしろ、都会の最先端部で、脱お金、脱資本主義的価値観が若者達をとらえ始めているのではないだろうか。彼ら都会の若者達が、農山村に移住し、新しい価値観で運動や事業を展開するとき、古い村落共同体に代わる、創造的なコミュニティーの可能性が開かれるだろう。そのことが長い目で見れば、農山村で移住者が、地元の人たちにもっとも貢献できることではないかと思う。

もちろん、田舎に”ひきこもる”ことはない。多くの都会からの移住者は、都市とのネットワーキングを縦軸に生計を立てている場合が多いのであるから、都市と農山村を自由に往還する、”遊牧民的ライフスタイル”がむしろトレンディーだと思う。自由と世界の可能性を羽ばたかせるところに人生の面白さがあるのだから。

 


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