帰農塾 参加者 レポート 
KINOUJUKU SANKASYA REPORT
6月5日〜7日 里山帰農塾 6月 〜糸をつむぐ、くらしをつむぐ〜  
 
2008.6.7 更新日 2009.7.8


私の里山帰農塾体験 
K.O

私がこの塾に参加しようと思ったきっかけは、まず、農的暮らしをしたいと思って移住地探しをしているところに、実際そのようなライフスタイルが可能かどうか、自分の目で確かめたかったこと、鴨川自然王国が気になっていたこと(藤本敏夫さん、加藤登紀子さんの思想に触れたかった)の二点があります。
 東京生活22年、最新のIT機器に囲まれ仕事をし、福島の田舎を捨てたつもりが、環境問題や食に関わっていくにつれ、「人間は自然の中に生きてこそ人間らしく生きられる」と実感していました。その背中を押す第一歩となることを期待して参加しました。
 塾の内容は濃密で、皆さんと意見交換し、畑のワークショップを通して、多くのことを学ぶことができました。講師の先生方も、常に命で向き合って対話してくださいましたので変化を受け入れることができました。
 一つ、講師の先生方が口を揃えて言われたことに、「自分の食べるものは自分で作るーこれは生活として当たり前のことで、市場経済には計ることができない」とありましたが、同感します。そもそも、「農業で食べていく」というのが間違いだと、そしてそのためには都市問題を解決しなくてはならないことに気づきました。
 私が今、生活している東京では食物はつくれず、“消費者”であり続けます。しかし、それは土台のない家のようなもので、やがて何か起きたら(輸入ストップ、天災など)もろくも崩れます。しかし、土台をしっかり(つまり、生活の一部として作物をつくる)できていれば、安心して、自分の能力を発揮して、イキイキと暮らすことができるのだと思いました。
 今はまだ便利で友人もいる東京から離れることに不安がありますが、できる限り農的暮らしを土台にした活動ができるよう、進めたいと思います。企画してくださったスタッフの皆様、先生方、どうもありがとうございました。


「帰農塾に参加して」 
M.Y

何年か前からやんわり描いていた念願。自然王国に足を踏み入れる。そこに藤本敏夫氏の意を受け継ぐ加藤登紀子さんの農的な生き方。本の世界ではなく現場でリアルな感覚。そこに私が求める晩年の方向性を見つける手掛かりがあると感じていました。この3日間は、加藤登紀子さんと充分な触れ合いができて、とても感激の日々でした。
ちょうど、ちび太くんのおでんに例えたら、素晴らしい講師陣やスタッフがおでんの具で、串が登紀子さんという感じに受け、なんと贅沢で美味しさに満腹!具だくさんの素敵な方との出会いは、私の中でこれから納めて身にしていきたいと思います。
 特に強く印象に残った言葉は、フランス革命は農民革命でもあり「本当に生産ができるのは、土だけである。」私に農体験はないけれど、奥深く神髄だなと。
 生き方は、両手につかむより、片手は遊ばせないと、これは!というものが来た時につかめない。仕事は片手に。もう一つの手は自由にさせておくのが楽しい。本当にそうある手に私もなりたいと思います。
たくさんのことを学び手厚い塾でした。もちろん私の中では続けていきたいと強く思いましたので、続きはまた、次回に書きます。


帰農塾を終えて  
T.K

“さて、これからどうしよう”これが、私が三日間を終えて最初に感じたことです。農的なライフスタイルについては、学生時代を含め、追い求めてきました。他の団体が実施している帰農塾のようなセミナーにも参加しましたし、生活レベルで体験したこともあります。しかし、何かしっくりこない。農的生活や農業が、今後の私の人生の中にないわけではない。いやむしろ私の場合、人生の必要な条件の一つになる。それでは、他に何が原因だろうか。お金のように思えるが、お金でもない。一番の原因は、果たして自らが農的ライフの中で、受け入れられるかどうか不安なんだと思う。いわゆる“存在価値”というものだ。
 しかし、この原稿を書いている中でも浮かんでくることは、とにかく気に入ったところを一つでも、複数でもいいから探し、足繁く通うことのような気がする。座して待っていても、始まらない。試行錯誤の中からあらゆる方向性を試していきたい。一方で、本業を通してもできることは多々ある。壁は低くはないが、やりとおすこと、継続することを胸に刻んで、これからも進んでいきたい。


創造的世界の発見
Y.N
 以前アートセラピーの体験授業を受けました。題材は、自分の将来思い描く夢を絵にすること。その中には条件として自分自身が絵の中にいることがありました。自分がいて、愛する人がいる。野菜を作り、動物がいる。山があり、音楽がある。祭があって、世界中の友達がいる。田舎だけど世界中のインスピレーションに満ちていて、創造的に仕事ができる。自分自身はそんな場所の中に裸で寝転がっている絵を描きました。なんとも欲張りな夢ですね。こんな夢を、友人にうまく伝えることができないのですが、やはり都内で生活をしていると、なかなか説得力のある言葉にならないのです。説得力のある言葉にならないと、次第に、私自身、信じることができなくなってしまいます。
 しかし、鴨川に来て、やはり、信じられる夢だということがわかりました。自分自身、これほど、ぴたりとイメージが重なりあってしまってよいのだろうかと、疑ってしまいます。
 将来何をやりたいかと聞かれれば、最近は農家になりたいと答えています。何故かと聞かれれば、誇りを持てる職業だと思うからです。その考えは間違っていなかったと確認することができました。この里山帰農塾は、内容の濃密な、素敵な人たちが運営されている、素晴らしい空間ですね。創造の源である「土」のようなものだと思いました。こんな想像の核のような場所が、日本中に溢れ、世界に溢れる時代を、造っていく一員に、私もなれるよう、やっていきたいと思っています。


筋肉痛よ永遠であれ
S.M

 農的生活こそがこれからの自分の人生を豊かにし、家族も幸福にし、狭義にも広義にも社会あるいは地域貢献につながり、マクロ的には地球環境保全にも必ずや結実するであろうことを信じ、これまで約二年間、農的生活の実現を追い求めてきた。
 自分の年令が五十を越え、当該活動のスタートがかなり遅れた感は否めないが、自分の探している新たな道に誤りのないことに確認を得るべく、里山帰農塾に参加させていただいた。
 結論的には、今回の帰農塾参加により、前述の自分の思い、考えに誤りのないことを確認できたことは勿論、多くの講師のお話や農的生活の現場を垣間見ることも叶い、自己の農的生活のグランドデザインが、ぼんやりとだが見いだせた思いもしているところである。
 農的生活の実践に必要不可欠な心得として特に重要だと感じたのは以下の三点である。
 1 コミュニケーション
  会社の中で、ある決められた仕事、人間関係あるいは空間におけるコミュニケーションはおのずとある限られた範囲のものとなる。しかし農的生活におけるそれは、形態自体が一変する。
 2 発見する力
  農的生活実践者たちの生活力は凄まじい。まさにピンチをチャンスに、負の資産を生きた資産に再生させている。固定されてしまった価値観を今一度リセットし、新しい視点で課題の発掘とその解決策を考えなければならない。
 3 創造する喜びを忘れない
  ものづくりというものは本来奥の大変深いことである。効率化の中で切り捨てられつつある創造のプロセスを決して忘れてはならない。
 今日は朝から腕の筋肉が悲鳴をあげている。その原因は、昨日大雨の中おこなったトウガラシの苗用の杭打ち作業にある。ただ、このなんとも心地よい疲労感は一体何であろうか。この筋肉痛がいつまでも残ってくれないかとひそかに願いたい次第である。


ふるさとの土地に藍を育ててみよう
M.M

 私の育った家は、農家だったが今は跡形もなくなった。ふるさとへの思いから、帰農塾に参加した私だった。が、実際参加してみて、座学でたくさんのことを学び、話し合ううちに、ノスタルジーというよりは、その思いがエネルギッシュに変わっていくのを感じる。私に残されたいなかの土地も、私の変化とともにエネルギーを生み出す土地になる、可能性のある土地に生まれ変わりそうである。「課題は仕事を作る」という言葉に励まされ、眠っていた私の土地も私も動く。綿から糸をつむいだときの自分の硬い手の動きと、柔らかい綿の感触に驚いてしまった。綿の背後にある歴史を講師から聞きながらの糸つむぎは格別だった。藍の畑で葉をつみ、指にこすりつけて、そまった自分の指を見るのがここちよい。畑に案内してくれたのは、鴨川でやはりエネルギーを得て、元気になったダンスの先生。里舞の映像は本当に美しかった。帰農塾で多くの人とふれあい、たくさんの知恵とも触れて、私の再出発である。登紀子さんの両手で仕事をしないで、片手を開けておくという講義での話も心に残った。片手を開けて、自分のしたいことへシフトしていきたい。人生は楽しくありたいなあと、ここに来ると思う。それはここに集う人からのメッセージでもある。頭の中が、混乱してきたら、高野さんのマインドマップを使おう。
 いつもながら、石井さんのつくってくれる食事がおいしくて、体が元気になります。
日々忘れがちな食の大事さを、思いおこさせてくれます。少しでも、自分で栽培しよう!
 甲斐さんの田舎への、農への熱い語りには、ひきこまれます。眠くても目が醒めます。


6月里山帰農塾
S.T

 私が帰農塾に参加したのは、ここ何年かの間に強く感じ始めていた自分の生活の仕方に対する違和感からでした。必要な物の殆どは買って手に入れて、火の起こし方も食べ物の作り方も知らなくて、一年の移り変わりがこうしてあるのに自分はそこから外れているようで、日々暮らす場所でも、その場が持つはずの古い物語や音楽等と繋がりがない、宙に浮いた落ち着かない感覚です。この中で生きることはできても気持ちが良くなくて、住む場と近いところでつながりを持って暮らすことはどんなことなのか、少しでも知るきっかけを掴めたらと思い、今回帰農塾に参加しました。
 初めての鴨川、一日目は雨で始まりました。農業やそれを取り巻くことについて全くと言っていいほど、知識のなかった私は、最初の自己紹介や講義で交わされるその人その人の直接の声に関心を持ったのは勿論、少し緊張もしました。
 二日目も雨。でも、鶯は昨日も今日もよく通る声でどこからか鳴いています。予定は朝から夜までぎっしりと入っています。思い返すと、帰農塾での講義や実習は何かを学ぶという面もありますが、話し手の人の感じていること、行ってきた等、その人の生き方を聞いている、そんな貴重な時間でした。合羽を着て畑で苗を植えたこと、スコップを洗いに水路に入ったときの水の気持ち良さ、交流会で大勢でご飯を囲んで話したこと、表に出た時の蛙の声と、まんまるに近いお月様。その日の夜はとても長く続きました。
 三日目。空は晴れて風が広げたばかりのテーブルクロスをばたばたと返します。朝から外でご飯です。日差しが強くなってきたので帽子を被り、石田さんの案内で棚田を見に行き、長村さんのお宅や藍の畑などを見学し山の上の神社にも足を伸ばしました。
 あっという間の三日間、心に残るのは出会ったどの人も、今ここをよりよく生きようと働きかけていることです。問題がそこにあっても、何とかしようと動くことに、私は力をもらったような気がします。そして、仲間が集まるということは、素敵なことだなと思いました。そしてもう一つ、恵みの雨、とても好きになりました。



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