帰農塾 参加者 レポート 
KINOUJUKU SANKASYA REPORT
7月17日〜18日 里山帰農塾 7月 〜食〜  
 
2010.7.18 更新日 200


里山帰農塾で学んだこと
E.I


 今回の2泊3日の帰農塾について、@座学が多かったA移住者の家へ行くお話を聞けたB鴨川で行っているムーブメント(勝手に呼ばせていただきます)に触れることが出来た事が収穫でした。
 移住を考えている私としては具体的な方法の事例を知り、本人よりお話を聞くことで、具体的イメージを作れました。一言で移住と言っても、地元から受け入れられること、受け入れられたらどの様にどこまで自分が入るのかなどを自分なりに実感しました。よそ者が入ること、よそ者の役割、(例えば、地元の人には当り前の物・事象、棚田などの自然価値の再認識とか)の実例の話を見聞きして満足しています。
 地域通貨は以前より興味を持っていましたが、運用の現場を見て、参加者に会い話を聞けて、地域通貨への理解が深まりました。これはコミュニティ作りの強力なツールであると感じました。この様なコミュニティーが他地域とリンクし、海外のコミュニティーとリンクしていくのは、そう遠い話ではないと感じました。
 最後に、帰農塾に来る前は、定年間近の方が多いことを想像していましたが、若い世代が多いことに少し驚きました。その時代を敏感にキャッチする若い世代の人は、やはり今の日本の現状に危機を感じて行動を起こしているのだなと、ある種の安心感を感じ、希望を見ました。故・藤本さんの先見性に感銘を受けました。
 長く国際協力の現場にいましたが、今度は国内、自分の国、子ども達の将来へ視座を移し、行動する良いきっかけの一つになりました。今後も鴨川のみなさんと交流を続け、学ばせていただきたいと感じました。


二度目の帰農塾
N.O

 梅雨明けの炎天下で摘んだブルーベリーの味は甘かった。地元の農家の方の指導により一時間ほどの体験だったが、生計をたてるための作業がどれほど大変かを垣間見た思いがした。畑仕事も帰農塾の講師陣とともに草取り、ナス・キュウリなどの作物の収穫を実践できた。これもほんおわずかな時間だったが、私にとっては貴重な「農」への第一歩だ。
 実作業はこの他にもこの地域で特有の料理、祭り寿司づくり、豆腐づくりもあり、塾生の仲間たちと楽しく共同で行い、その晩の夕食で美味しくいただくことができた。
 坐学という講義も大変勉強になった。高野塾長の総括的な日本農耕論に始まり、移住実践者である半農半Xに関する体験談。この講義は自然農に関する講義でもあって私にとっては新知識となる、ある種驚きの内容だった。
 農文協の甲斐講師による日本の農政に関する地域事例の紹介は、また前回同様、国内農業も地域の心ある人たちが頑張っている様子が伺え、農の将来性に対して明るい見通しを提供してくれた。
 加藤登紀子さんの話が今回は聴講でき、しかも交流会=懇親・宴会でも会話ができたことは最大の収穫だった。話の内容は、農業政策批判から個人的な体験を通じての農的生き方にわたり、私にとって今後の指針ともなるような点がいくつもあった。
 三日目における移住者宅訪問は、今回も三軒だったが、前回は五十代、六十代の家庭だったのに対し今回は三十、四十代の家庭だった。三家族、夫婦とも在住年数は異なるものの、どの家も上手に地域に溶け込むことに成功しているように見受けられた。共通している点は、どの方も皆、非常に楽天的で明るい。まず第一歩を踏み出すことが大事だと言っていたことが印象的だった。
 里山帰農塾の三日間。同期八名、スタッフ・講師陣、訪問家庭の方々等多数の人材に出逢うことができ、勉強にもなり楽しい時空間を共有できたことを感謝いたします。


出会いの大切さ
T.K

 まず今回もおいしい食事を作って下さった石井さんに感謝致します。身体のために良く、しかも素晴らしいくおいしいごはんをいただき、どうもありがとうございました。これだけでも私にとって非常にうれしいことでした。
 さて今回の里山帰農塾でまず感じたことは「出会い」の大切さとありがたさです。講師先生方だけでなく、塾生の皆さん、そして訪問した移住者の方々と素敵な出会いが出きたことをたいへんうれしく思っています。
 実は講義を聴きながら、私自身の考え方について経済原理や現状の生活(現在)から抜け出せていないことに、最初はいら立ちを感じておりました。農的生活にあこがれを抱いていながら、長年しみついたお金中心の考え方を捨てられない自分に今さらながら情けない気持
 しかし塾生の方々にも少なからず私と同じ思いがあり、それを乗り越えようという意思が感じられたことを心強く思いました。
 もちろん講師の方々からはそれぞれ貴重な勉強をさせていただく機会をいただき、たいへん感謝しております。一言では言い表せませんが、ありがたい出会いでした。
 「出会い」ということは必ずしも偶然を意味するものではないように思います。前回参加した時よりも、出会いを大切にしようと思う気持ちが強くなりました。それは、私自身が農的生活もしくは移住という方向に傾いてきたからだと思います。まだ決断までには到りませんが、これからさらに食べ物を大切にする生活に心がけたいと思います。スーパーのトマトを買わなくなることが一つのゴールになるように思います。
 最後に加藤登紀子さんと親しくお話をさせていただき、宴会後に皿洗いを一緒にしたことは一生の思い出になります。ありがとうございました。次回の帰農塾を楽しみにしています。


帰農塾について
K.N

 この三日間鴨川自然王国で学んだことはいろいろな人がいるものなのだなと思ったことです。王国に行くまでは、田舎暮らしはとても始めるのは大変なものだと思っていました。しかし、半農半Xや訪問ツアーで田舎暮らしを実際始めてみてるとなるようになったり、周りの人が助けてくれたりと、いろいろ周りからのフォローで田舎暮らしがやりやすいものになっているんだなと実感しました。
 それから住居者に比較的多いのは都会からいらした方が多いということでした。
 それまでは、都会というものは自分はあまりかかわったことがないのでわからないかったのですがそれほどまで都会というのは住みづらいとこなのだなということを逆に実感しました。自分のところは自然はあるのですが田んぼばかりなのでなんかその自然に少しむなしさを感じていました。今回自分は自然には少し見慣れていたのですが、山の中でしかも1人や夫婦で田舎暮らしを始めるということはどういうことか聞きたかったし、実際にそういうイベント(草むしりやブルーベリーつみ)にも参加したかったというのがありました。
 逆にこの3日間を通じて自然のありがたみを教わったというのもけっこう大きかったし自分の食生活も見直すことも大切だということに気付かされました。「地産地消」という言葉は農の理想的な言葉だし王国を通じて自分は農や自然を見つめなおさなければいけないかなと思いました。今まで自分は農のことはまったくの素人で実体がよくつかめていなかったし自分の価値観にとらわれていたのを見つめ直すことが出来たかなと思ったし、人とふれあうのがけっこう楽しいことなんだと思いました。いずれにせよ農的生活やそれに関係する動きは自分を見つめなおすことができるし得るものが多いと思う。これからの時代はやはり農なのかなと実感したし、人の幸せになるヒントなのではないかと思いました。


どう考えても最高の人生
T.O

 やっぱり自分の選んだ道は正しかった!そんな思いを何度も抱いた3日間でした。農的生活、昔ながらの人情味ある地域コミュニティの復活。自然な生き方。そういう夢のイメージは、膨大すぎて端的な言葉にまとめきれない感がありますが、その中には現代社会の抱える様々な病理をとてもあっさりと、軽やかに解決してくれる「まさかの一手」が沢山潜んでいるように思います。
 例えば健康。今最も一般的な医療である綿は、とんでもない量の水と農薬を使って作られているという。町のスーパーで買う食品もやっぱり多くが農薬や添加物にまみれているがそれは今の表示制度では全然消費者に伝わることなく、静かに着々とその者の健康を害していく。住居だって薬まみれ。化学物質まみれ。電磁波だって歴史上例のない量が飛び交っている事だろう。健康を阻害しているものはほとんどが人工的なものだと思います。過酷すぎる労働事情。ストレスフルな競争社会。これらもやっぱり人工的なものです。これら、非自然なモノの多くを生活から取り去って、自然の中で自然な生き方ができるようになれた時、人の暮らしはどこまで快活になるでしょうか。
 まだまだそうなるまでには長い時間がかかります。衣・食・住を自給出来る為にはある程度の人数と、努力する年月が必要です。そしてそれをするために必要な時間は生活費を稼ぐための労働によって問答無用で削られます。ある見方をすればこれは、国家の完全支配から抜け出すための戦い。ある見方をすればこれは様々な難問を次々とクリアしていく人生をかけたゲーム。ある見方をすれば、自分がただ美しく、躍動して描いて、笑って、泣いて、仲間と共に創っていく大芸術。どの見方をしても『楽しい』人生であるという事だけは間違いないのだ。やってやるぞー!タイムリミットはあと70年だ。


私にとっての農的生活
T.M

今回、初めて「里山帰農塾」に参加させて頂き、講師や移住者の方々、参加者の皆さんのお話を伺ったり、話をしていく中で、一番強く思ったことは、これまでの自分の暮らしについて、ライフスタイルについて、そろそろ考え方、生き方を変えていかなければいけない時に来ているのかなということでした。地方も都市も含めて、今、世界中で生態系が壊れたり、異常気象、食のグローバル化によって発生している病気や異常現象、家庭や学校の崩壊、職場でのリストラや雇用の不安など深刻な問題がいくつもあり、今、日本社会全体が、病にかかり元気をなくしている状態なんだと思います。私自身も、これから先、何に希望を見出していいのか、分からなくなり、今、大きな心の危機にあります。そこから脱出したいのに、その術が分からない。そんな中で帰農塾に参加し3日間を過ごせた事は、これからの生き方の新しいモデルを見つけるチャンスにつながったのかなと思います。
 私自身、今すぐ農的生活に新しい依り所を求めていいこうとは思っていないのですが、自分自身が自分の人生の中で主人公となって、何かしたいのか、できるのかを真剣に考えていかなければならない時に来ている人だと思います。私の場合は、人道、人種面での活動に関心があるので、そちらの方面で勉強したり、自分から積極的にボランティア活動を行ったりして、自分で自分自身の人生を開拓していきたいと思っています。
 また農的生活については、食の問題でもありますので、自給する、しないにかかわらず、何処でどう作られた食材か、には、これまで通り、こだわりをもって選んでいくつもりです。また、私自身は食の輸出入には反対なので、この問題については勉強し、広めていきたいと思っています。
 最後に、素敵な三日間をありがとうございました。


農的生活の実現
A.Y

 人間らしい生活をしたい!
 それが私の「農的生活」をする最大の理由です。今回の帰農塾参加者の目的は、農的生活をするための足がかりとするためです。
 この研修で出会った人々、とくにすでに農的生活を実践している方々のイメージが印象的でした。都会でのビジネス界でのいわゆる「できる人」が発しているギラギラとしたエネルギーを全く感じさせずに、リラックスして自然体、ひょうひょうとしているようにさえ感じられて、今を楽しんでいる。身体の中心に芯が通っていて安心させられる感じです。
生活の中でやっている事はすごく重労働でパワフルなのにそれを感じさせない。驚きました。そういう在り方がここでうまくいく秘訣なのかもしれません。
 また鴨川の自然も強く印象に残っています。鳥やセミの声、虫の羽音、稲穂を駆ける風の姿、山々の緑、星空と蛍の瞬き、雲の影、どれもが、協力に身体の中に染み込み、自然でいいなぁ、鴨川っていいなぁと思わされました。
 今年いっぱいでサラリーマン生活、会社をやめて、人間らしい農的生活をするにあたり、移住地をどこにしようかと悩んでいます。実際にはまだ鴨川以外には見学にいっていないので他にも候補地があるかもしれませんが、今ではこの地に大変な魅力を感じています。
 農的生活=人間らしい生活を生きるとは、こんなにも身体がうれしいんだ!ということを今回改めて実感いたしました。もちろん、良い事は自分だけの幸せに留まりませんが、まず自分の幸せを実感していくイメージが決まりました。
 最後に今回の帰農塾に関わって頂いたスタッフの方々、講師の方々、話を聞かせて頂いた移住者の方々、共に学んだ参加者の皆様、色々とお世話になりありがとうございました。


里山帰農塾に参加して
Y.M

 もし私が二十年早く、この鴨川自然王国に来ていたら、恐らくここに移住して来たかも知れない。但し、今のスタッフの皆さんが居られればの話である。それだけここの王国の皆さんは素晴らしい。
 今、福島県矢吹町で取り組んでいることは町の花である「春ラン」を生かして、春ランの里を創りたいと始めたところで、里山を春ランや山野草を植えて再生し、周りに休憩施設・宿泊施設、農家民泊を営み、都会からの大人や子どもたちの体験旅行を迎い入れたいと考え、又産直品を扱う販売所も検討している。そうやって新規ビジネスを創造し、雇用を増やさなければ都会からの移住者を迎え入れる程のパワーが町民に不足していると思う。
 自然王国の運営の仕方、目指す方向性、帰農塾の開催内容は、今後の福島での事業展開の上でも大いに参考になった。春ランの里(仮名)の運営が軌道に乗ったら、是非福島でも取り組んでみたい。いきなり地方に来て、すぐに住みつくのは大変だと思うので、若者には帰農塾のようなもの、定年退職前後の人々に向けては移住の為の体験宿泊なども、ある程度の期間で実施してみたい。幸い地元には農業短大もあり、そことの協同体制がとれればと考えている。
 今回の塾の座学はとても参考になった。色々な情報を提供して頂き本当に有益であった。特に甲斐氏のお話にあった千葉県大網の不動産会社の女性社長には直々にお話を聞いてみたいものである。
 二泊三日の滞在であったのに一週間位居たような充実感を持っている。又、安房マネーの取り組みも大いに興味をもち、このシステムを取り入れるべく勉強してみたい。
 三日間、本当にありがとうございました。今回の受講は決して忘れることはありません。又、機会がありましたら是非お目にかかりたいと思います。(多謝)


企てること 鍬立てること
T.H

 私にとっての“農”とは一体何であろう?その素朴ではあるが深遠な自問についての解は、「安全・安心な食につながる農の実態と実現を日々の自らの生活にできうる限り織り込むことにある。」無理な生活様式を取り込めば持続しないことはすぐわかる。ただ新たな価値観に基づく生活を手に入れることへの探索的挑戦はまだまだ続きそうである事を私自身再確認できたように思える。
 革新的行動や知識獲行為は重要ではあると感じるが、果たして、自らが種蒔く人になることができるかと云えば、それはなかなか難しいと云わざるを得ない。それは今ある現実の経済基盤を獲得している生活があり、生活様式を変え、低収入経済の割り切りの覚悟を決め、互恵的地縁社会のさらなる生活価値観への転換あるいは融和を図るなど、変えなくてはいけないものがあまりにも大きいものとして感じられるからだ。むろんこれまでの価値観や生活を断つことで新たに得られる喜びや幸福感はあることと思われるし、かえることの痛みより進化、深化する効用を得ることの素晴らしさについても想像はできる。
 では一体今の私におけるあるべき知恵ある農との付き合い方は何か?このようなショートタームの機会を通じで、土に触れ、太陽の光を浴び、森林を歩き、田畑の匂いをかぎ、額に汗して、生の喜び、食の愉しさを感じること。そしてさらなる関心が深まり、状況が整えば、徐々に訓練され、いずれ職能的技能を,ことについてより積極的意思を持つことになるものと思われる。心を癒し、開放するいわゆる楽脳(農)生活へのきっかけになるかもしれない体験機会を今は持ち続けること、このような捉えとして農とつきあっていく今は割り切るしかない。ただ、いずれ現在取り組んでいる事業継承のノウハウを生かし、農業という産業が直面している担い手の後継者不足の問題、あるいはただ承継するのみならず、新たな価値を再構築し、付加価値の高い産業へと進化、深化されるためのモデル作り寄付できる可能性を追求しつつ、果たしうる役務を自ら作り上げることができればと思う。特に私にとって“竹”をテーマにした域内外連携によるエコシステムの構築を時間をかけてじっくりと後半生のライフワークとして取り組んで生きたいと思いをより一層深くした次第である。
 それはただ牧歌的楽脳(農)生活に自らの心身の疲れの癒しを求めるのみならず、地域の再生を取り戻すための仕掛けを企業人の立場を通じて実現することこそが肝要であり、私自身の果たすべき役割かもしれないからだ。むろんかくあらねばならぬということに強くこだわりを持つことが時には古い因習との問いで軋轢を生み、また多様な価値を紡ぐ作業の連綿において不測な変化を地域にもたらすかもしれない。しかしながら、創造的にかつ域外連携によって、人的交流機会を活性化し、この地域の竹に関する情報資産や技能資産の価値を高め、バンブーエコシステムとでも呼べそうなパッケージとして海外移転することで外貨獲得を目指す。域内において小さな互恵的信用創造基盤を再生しつつ、外部からの一定の富の移転を通じて、新しい才能の獲得、事業機会の創出、市場想像を果たす。このような構想の企てを通じて、今の段階でできうることをしばらくじっくりと探索していきたい。
 この三日間の体験を通じて参加前に抱いていた機能への捉え方は多様多相になり、変容したように思う。
 大上段に構えたかのような“つぐべきものと再生すべきもの”というテーマでアプローチすることの是非について、むろん今日の段階で結論を得たものとは云えない。ただ熟成するなかで「企て(クワダテ)」を性急にし、事に挑めば形をなさないこと、無用の軋轢を生むことについて改めて学んだ。だからこそ目の前にある「鍬立てる(直面する土に鍬立てるかのように)」ことのあり方について今自分自身ある環境を客観的に翻り、できうることを捉えた上で(As is mobel & Can be Model)近未来において自らが果たしたいとするTo be Modelを常々  させ、探索的に震幅させる手と頭の作業を求められるし、その仮説検証の連鎖こそがこの地域にもとめられるのではないだろうか。


里山帰農塾 食
R.M

 今回のテーマである食に関しては誰しもが興味のあることであり、餃子事件等で外国産の食料品に毒物が混入していて国際問題にまで発展しかねないことも起こりました。今回の事件では社会の耳目を集めたこともあり、一般人の食に対する関心度も上がっていることが感じられています。しかし現実問題として捉えてみると、ここ数十年来、日本社会が不安定な状態に陥っていることもあり、一円でも安いものを求める声もあがってか、物を作り出す、物を生み出す生産コストに合わない値段での取引を行っている為に、矛盾や不都合が生じているのが実態ではないのでしょうか。
 そこで一部の人たちの中では口に入る物は安全なものをということで自分達の手で生産することが必要な時期になっていることに関心が高まり、有機栽培という前提で見直され、各地で活動が聞かれるようになっている最近です。
 今回の講習の中では座学も普段聞くことができないお話を聞くことができ大変参考になりましたが、川名さん宅のブルーベリーの収穫実習が特に印象に残りました。立ち話の会話のやり取りではありましたが私達の質問にも丁寧に返事をされるさりげないお話の中に御苦労や私達への気遣いを感じとることができました。ブルーベリーと言う同じ名前ではあるが数種類の木を植えて収穫時期や用途によって少しずつ調整できるように育てているとのことで経験に基付いた話が聞くことができ楽しかった講習でした。
 又、数種類の野菜の収穫もまた楽しかったことではありましたが、雑草の摘み取りも大変さゆえに必要なことの大事であることを知ることができました。私達の日常の生活では品物があることが当然の生活をしている為に一つの品物ができるまでの過程を考えることなく生活しているので物に対する価値観という面でも欠如しているのではないかと思わざるを得ない最近です。



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